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2008/10の大暴落&大損を振り返って/モニタの向こう側

2008/10の株式市場の暴落から5ヶ月が経過した。
当時のことを冷静に振り返ることができるようになり、またこうして文書を書く時間もとれたので、改めてあのときの自分が何を感じて、どう考えていたかを記録しておきたい。


【暴落発生前】
まず、暴落に入る前の私の先物/オプションのポジションは、基本的に最大利益ゾーンを10,000〜10,500とした、プットのレシオスプレッドを組んでいた。
まあ、おおざっぱに言ってしまえば日経平均が10,000円程度まで下落したときに最大の利益が出て、それ以上の下落が発生すると、とてつもない速度で損失が出るようなポジションである。


当時225は11,000程度だったので、1,000円程度の下落しか起きないだろうと考えていた。
もっとも、その一方でCDO,CDSなどの商品による莫大な損失+債権の劣化が発生し、企業の業績が大きく悪化&日経平均は将来的に大きく下落すること、「まぐれ(タレブ著)」に出てきたような大暴落=ブラックスワンが、近いうちにどこかで発生するとも考えていた。
つまるところ目先の2週間では1,000円程度しか下落しないけど、将来は数千円規模の下落が発生すると考えていたのだ。


この考え方そのものは今でも間違っていなかったと思うが、こう考えていた場合に取るべきポジションとしては、カバードプット+プットバックレシオスプレッドであるべきだったと、今は後悔している。




【暴落発生/週前半】
で、10月に入ってから、10/8までの6日間で、11,259.86→9,203.32と-2,056.54の下落。
10/6,7,8は会社休んでずっとマーケットチェック。


10/6は眠気が全く発生しないから、睡眠薬のんで、無理矢理眠りを取る。
10/8の未明、眠れるわけもなく3時間で起床。起床後すぐにCME(アメリカの証券取引所)で日経平均先物価格をチェック、-900円と表示されて、そのまま台所に行って嘔吐/しかし殆ど食事を取っていなかったため、胃液しか出ず。
想定される損失の規模に寒気/目眩/絶望/自分への失望を覚えつつ、なんとかして損失を抑えなければいけないとの一心から、マーケット/ニュースを追う。
10/8も睡眠薬を飲んで午前2時過ぎに睡眠。


10/6,7の2日は、毎日高級車1台程度の損失を重ねていた。
10/8はひたすらデルタをマイナスに傾けていて利益を出した(≒日経平均を売りポジションで持っていた)。
このときは、大量のプットを大量の先物miniでヘッジし、デルタをひたすらマイナスに傾け、いくつかの証拠金を抑えていた。
今考えれば、アホ極まりない対処であるが、9月にコールがわレシオスプレッドで大きな損切りをした後に相場が反転していたため、このときは判断基準にバイアスがかかっていた。


10/6,7,8はこんな感じで、大きな損失を出し、精神的に弱りながらすごしていた。
8日が終わったときのポジションとしては、遠くのプットが大量に売り、それをヘッジするために大量の先物miniを売っていた。




【暴落発生/週後半・SQ】
で、10/9調整する程度の動き。出社して会社でマーケットを見ながら仕事。
このときは大阪証券取引所のオプションの制度の都合上、プットの行使価格が9000円までしかなく、プットヘッジのためには買い戻すか、先物を売るしかないという状態だった。
証拠金の関係上、買い戻しは難しかったので、先物によるヘッジを実施した。
ヘッジはポートフォリオ全体のデルタ(日経平均に連動する比率)がゼロになるように実施した。
これが後ほど損失を増やす原因となる。


そして、10/9深夜、NYでは再び暴落が発生。
CME先物も-1000円前後いっていた。
で、さすがにSQ(先物・オプションの精算日)なので眠ることもできずにビクビクしながら過ごす。


夜が明けて、東京市場がオープン。
当然のように、全ての株式がストップ売りに近い状態で、値段がつかない。
先物もなかなか値段がつかなかったが、最初の値段がついたときに(確か)先物を8200円前後で処分。
その後、サーキットブレイク発動=おまえらちょっと頭冷やせtime。
サーキットブレイク後は流動性が完全に枯渇し、1秒で±200円程度動いた。
一度に100毎程度の先物miniを取引すると、50〜100円程度のスリッページコストが発生。
ちょっとした規模の取引はまともにできない状態に。
また、先物ラージとminiと上場ETFの間で価格の歪みが発生。
これはすぐに上場ETFがストップ安で張り付いたため、ほんとうに一瞬の間しか発生していなかったと思う。


そしてしばらくたってから判明したSQ値は、7992.60円。幻のSQ。
つまり、プットは先物の処分価格よりも遙かに安く処理され、差額分が損失として計上されることに。
また、ヘッジの際にデルタで調整していたため、ガンマの調整ができておらず、足りなかったヘッジ分(つまり、プットの売り枚数と先物の売り枚数をそろえる必要があった)が損失として計上されることに。


この日の損失額は過去最大を記録。
そして全てのポジションを閉じ、ノーポジションに。




【暴落後】
10/11,12の週末は、ひたすらヘッジして流血を押さていたが、結局大敗を喫した1週間を思い返しながら、憂鬱な気分で過ごした。
買おうとしていた車(エリーゼ)を買う予算はなくなり、年初来の+17%の利益も当然消滅。
ひたすらニコニコ動画や小説や映画を見て現実逃避/クールダウン。


そして、週明けの10/13に出社。
職場でも暴落のことが話題になる。


が、「暴落が発生して大変なことになってるけど、今現在の仕事には関係ないので、とりあえず仕事にかかろうよ」という上司の発言で、マーケットの話題は終了。
その後、飲み会などでも「株式市場大変だね−。大丈夫−? なんか100年に1度らしいねー たいへんねー」みたいな感じで、話題にあがる。


こうした時に私が感じたのは、彼らの私の、暴落に対する距離の差に対する違和感だったように思える。
マーケットを直接見ていた私と、マーケットを新聞などのニュースでしか見ない彼ら。
彼らと私の間には、明確な距離の差があった。
その距離の遠さが、(極例ではあるが)まるでいつも私がモニタで見る戦場の写真に写っている人が、webを見る人をどう思っているか、その気持ちの一部、"どうして私はこんな理不尽に遭っているのか","どうしてそんなに平穏に暮らせているのか","奴らにも思い知らせてやりたい"(ある種の劣等感)という気持ちを少し私に理解させた。
そしてまた同時に、"この安全な場所は私の居場所ではない"とも感じた。
一度モニタの向こう側を知ってしまった/立ってしまった以上、モニタのこちら側で、安穏とした環境の中で自分を欺き続けることは、とても難しい。




今回の経験が私にもたらせてくれたものは、
・崩壊したマーケットでのトレード経験。LTCMの時も近い状態だったらしいので、2,30年に1度の珍しさかな?
・ニュースなどの向こう側の感情/深刻さを想像する際の深さ。重い上がりかもしれないけど、より共感が深く。
・安定していることの不安定な部分。4σレベルの事態は発生する。
・冷静でないときに、適切な判断を下すための、パートナーの必要性。
・歴史に学ぶ重要性の理解。「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」まったくこの通り。


「ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」
from 機動警察パトレイバー2 the Movie